女子中学生「人を測るには学歴が一番」との意見に賛同してしまった

「人を測る定義として学歴が一番わかりやすい。だから学歴社会は別に悪くない」

最初に言いますが、女子中学生に全面的に賛成の立場です。

この発言にtwitter上で賛成派よりも否定的なコメントが比較的多く寄せられていました。整理整頓も兼ねて勝手に考えを書き連ねていきます。

 

女子中学生の意見に対して

「社会に出ればその答えがわかる」

「前提は間違っていない。だが結論が間違い。」

「悲しい一言ですね」

「間違ってはいないんだが、高学歴だからといって仕事ができるとは限らない。」

「sinθcosθtanθだとか社会出てから使わないよ?」

「お勉強は出来るけど、仕事の出来ないやついっぱいいるぞ。」

片側からしか物事が見れない

こんな感じのコメントが寄せられていました。そもそも多くの人の立場が異なっていて、学歴社会との比較対象にバラつきがあると思ったので大まかに分類します。

 

  • パターン①:人格・人間性=学歴
  • パターン②:稼ぐ力・仕事力=学歴
  • パターン③:就職=学歴

 

最初に引用した否定的なコメントの多くは中学生の考えに対して、パターン①とパターン②の立場から発言したものである、もしくは女子中学生が考えが及んでいないと指摘しているのではないかと想像します。

まずはパターン①「人格=学歴」について考えます。

パターン①「人格=学歴」は普通に道徳の授業を受けた人間であれば、「人格者は勉強ができる」という考えは暴論すぎるので、成り立たないと思うのが普通だと思ってしまいました。この女子中学生がパターン①「人格=学歴」の立場から発言している可能性は相当に低い気はしています。また主観ですが、映像を見るに言葉選び、発言の雰囲気から、この女子中学生が冷徹な考えをしているようには私には思えませんでした。このパターン①「人格=学歴」についてはそもそも考えなくていいと思います。

次にパターン②「仕事力=学歴」について考えます。

これが否定的なコメントでよく見ましたが、もちろんこの学歴があるからと言って、仕事ができるとは限らないのは理解ができます。ですが、そもそもの女子中学生の発言の根底にはパターン②とは違う前提あったのではないかというのが、私の考えです。この女子中学生の発言は2点ありました。

 

  • A「学歴は定義として一番わかりやすい」
  • B「学歴社会は悪くはない」

 

まずはA「学歴は定義として一番わかりやすい」の発言ですが、仕事力にも色々あると思います。例えばパッと思いつくのは素直さ、コミュニケーション力、協調性、状況判断力、社内政治力、行動力、体力、専門知識、経験などでしょうか。他にもあるかもしれませんが、いくつかある指標のうち、学歴は学生が唯一、数字にできる項目です。女子中学生が言っているのは「一番わかりやすい」つまり「定量的である」ということです。完全な指標ではないことを意味に含んでいて、そのことを自身でも自覚しているがために「わかりやすい」と表現したのではないかと思います。

 

もちろん家庭環境や貧富の差で生まれる不平等もあると思いますが、基本的には皆の平等に義務教育を受けているはず、現状の世間的には大学まで行く選択肢は標準的であるという前提があるので、前提を外れるようなイレギュラーな話は個別に考えるべきだと思います。今回のような社会的な議題、大きな規模の議題の場合は、やむを得ない事情がある人について補足程度に考えるのは良しとしても、根幹的に考えるのは問題を複雑化してしまうので避けたほうが賢明だと思います。マクロで考えるという表現でもいいでしょうか。

 

そしてB「学歴社会は悪くはない」の発言ですが、学歴社会が悪いとも正しいとも断定して言っていないことが重要です。「絶対的に良い」でもなく、「絶対的に悪い」でもなく、「悪くはない」です。つまり「成果としては一定の効果が得られる」といった意味合いで使用されていると思います。女子中学生自身は、仕事力と学歴は断定こそできないものの、例えば学歴は収入に影響しているという話はよく聞くと思いますし、学歴に相関した一定の効果は現実として否定できないことを、確かなデータでは理解していなくとも、感覚的に理解していることに由来した表現だと推測します。

 

女子中学生の上記の2つの発言を踏まえて、パターン②「仕事力=学歴」に立ち返ると、一切その意図はなく、上手に回避しているように思えますし、一致しているとは言っていないことが伺えます。

最後にパターン③「就職=学歴」について考えます

このパターンが私の立場になります。画像を見て否定的なコメントが多かったので確認のため、番組の映像を見てみました。そこでは前後の他の人のインタビューで学歴社会と就職に関して発言している内容があり、そもそものインタビューの質問内容が「就職に学歴は必要な社会の現状をどう思うか?」だったのではないかと考えます。

 

そう考えると女子中学生の発言はかなり現実的な回答だと思います。就職は当たり前ですが選抜試験になっています。何があるかわからない世の中にはなっていますが人気企業は人気な現状も残っていると思います。その人気企業で面接官が書類選考を実施しますが、その面接官たちの達成目標は可能な限り優秀な人間を選抜することです。先程も挙げたように学歴は容易に数値化にできる項目です。基本的に誰でも平等に大学試験は受けることができるので、長期的な努力や能力を測るのに便利な指標であるのは間違いありません。選考過程にも人件費がかかるので、ビジネスの観点で考えたときに人事が書類選考でフィルターをかけて、効率よく選抜する考えになるのは当然の流れです。

 

もちろん世間の皆さんが嫌いな「お勉強はできるけど仕事はできない新人くん」もいると思いますが、そのために面接という選考過程が存在しています。学歴だけでは測れない項目を、より精査するための段階として設けられているので、何も企業が学歴だけで判断しているわけではないことが事実として存在しています。そんなことはわかりきっていて、その上で「学歴は採用項目として重要な指標の一つ」と言い換えてもいいと思いますが、女子中学生も同じような感覚で「測る定義として一番わかりやすい」「悪くはない」と発言をしているように感じました。

 

そもそも学歴という言葉に敵意を持ち過ぎです。

学歴の分解して考えると、

  • 決められた期間内に
  • 平等に与えられた問題に対して
  • 一定以上の成果を残すための努力したか
  • もしくは達成することのできるスペックを保有していたか

の以上を第三者的に認めた事実にだけ目を向けるべきです。

そのため一旦、学歴でマウントするような人は無視しないと今回の話は当然こじれます。

 

わかりやすく言うなら、

全く同じような能力、雰囲気の人間が2人いたとして、努力をした人と、しなかった人を比較すると、面接官は確実に努力をした人間を採用する方が普通の感覚だと思います。

・高校1年のときに偏差値50、高校3年生のときに偏差値50、高卒

・高校1年のときに偏差値50、高校3年生のときに偏差値60、MARCH卒業

当然、後者を選んだほうが当たりの確率は上がるはずです。仮に高卒の人材を選んだとして、秀でた部分がない見られない場合は、仮に上手くいったとしてギャンブルにしかならないです。高卒の人材を選ぶならそれなりの理由がなければ人事部長を説得して採用を通すことはできません。一時は良いかもしれませんが、これは再現性の問題になってきます。

最後に、それぞれ回答するなら...

「社会に出ればその答えがわかる」

→書類選考時点の話をしているので、発言として間違っていない。素人に向けて到達者のありがたい話みたいな含んだ感じにしているけど、そもそもそんな話をしていない。

 

「前提は間違っていない。だが結論が間違い。」

→より良い就職のためには、ある程度の学歴が必要な社会構造になっていて、選考過程の指標としてわかりやすいと言っているだけ。それ以上のことは言っていない。

 

「悲しい一言ですね」

→そもそも前提が違う。理想論があるのは結構だが、書類選考時点の話として現実としっかり向き合っているのは女子中学生の方なので、現実逃避をしないでむしろ立派。

 

「間違ってはいないんだが、高学歴だからといって仕事ができるとは限らない。」

→女子中学生の意図とは異なっていて、あえて断定していない言葉選びをしている。

 

「sinθcosθtanθだとか社会出てから使わないよ?」

→視点が小さすぎるので、適切に議題に焦点を当ててしてほしい。個別の問題内容ではなく、問題に対する処理能力が要求されているので、細かい内容を考えるべきではない。

 

「お勉強は出来るけど、仕事の出来ないやついっぱいいるぞ。」

→書類選考過程の話で質問の前提が異なるので、指摘箇所が違う。東京旅行することが確定しているのに、大阪旅行のほうが楽しいから大阪のことも考えるべきとか言い出すような状況。

 

「片側からしか物事が見れない」

→質問に対する回答としてこの場面ではむしろ適切。片側から物事が見れていないと思い込んでしまった事自体が、片側からしか物事が見えていない状態になっている。