【怒りの出社事件】出社が5分早いと怒る上司を見た
おじさん新人さん、定時20分前に出社して怒られらしい。
「なんでそんなに早いんだ、早すぎる!」と。
いつも思うのが、
なぜ上司は普通に話すことができないのか。
なぜ初手が怒って伝えることしかできないのか。
自分が同じく新人の頃にもやる気を見せたいと思って、同じように早めに来て、同じ目に合ったので思うところを書き連ねていく。
仮に影響範囲が社内だけにとどまらないようなものならシビアになるのも仕方ないと思えるが、出社の時間程度で朝っぱらからよくそんな温度で怒れるな、と思う。理由は分からないが、例えば下のような感じに普通に言うだけでいい。温度感的には通行人に未知を尋ねられたかのようにただ普通に話せば良い。
- 「あまり早すぎると残業代を支払わないといけなくなるんです。それは避けたいので仮に早く出社しても打刻しない欲しくて、もちろんそれまで作業も始めなくて良いです。」
- 「あまり早いと早番の人の準備ができていなくて、しかも作業分担もできないから早めに来ても何もさせてあげられないんですよ。」
- 「日頃から早めの定時前出社を許すと、他の人も早く出社しなきゃという雰囲気になってしまうのを避けたいから、せめて10分前とかギリギリに出社してほしいです。」
となんでもいい。最後に「すいませんが協力お願いします。」とでも言えば通常の人なら気持ちよく協力してくれると思う。
注意された後のおじさん新人の感想が、
「まあ、完全には同意はできないけど、理解はできるからルールを守ろう」なのか、
「急に怒られた。よく分からないけど今後は地雷を踏まないようにルールを守ろう」では天と地の差があると思う。
最低限の組織人としての心得があるなら、たとえ同意はできなくても、理屈が分かれば理解して寄り添うことはできる。両者の関係性に溝をつくらないようにするために説明での納得感は必要だと思う。たとえそれがベテランと入社数ヶ月の関係だったとしても、理由を伝えることは先人の義務であってほしい。よく「1~10言わないと伝わらないのか??」という人がいるけど、言えばよくないか?と思ってしまう。わざわざハードモードにする理由が分からない。
詳しく説明した上で、その後に反論するのか、拒絶するかどうかの態度で行動を決めたらいい。怒るかどうかはその後の話であって、初見の理由が見えない怒りは敵意と取られても仕方ない。ただ無意味に関係性に溝を作っている状況が発生してしまう。
確かに納得しようがしまいが出社時間を調整するだけでやることは結果的には変わらない。だけど、ただただモヤモヤとした不信感だけを抱えたまま、仕事をしつづけるのか、気持ちよく仕事をするのかだったら、絶対に気持ちよく仕事したほうがいいに決まってる。別の話になるが、自分も含めて、先輩方がよく勘違いしがちなのが「業務知識を知っているだけ」で後輩と「能力的には大した差がない」という点。もちろん長年をかけた血肉として反射神経で業務を進めることができるのは経験者ならではの強みになるが、結局時間をかけてしまえば同じ結果になるのであれば、後輩だからといって見下す理由にはならない、と思っている。仕事を知っているだけの自分は偉くないということを自戒も込めて書き記す。
とにかく伝えて、怒るのかどうかはその後の挙動を観察してほしい。と役職もなんもない自分が心の中でただ思うだけだが、上司には上司にしか見えない世界があるかもしれないし、自分が役職者になれない理由には少なからずその考え方に差分にあるんだろう。完全否定したいけど、できないジレンマの間にもいる。
【逆おれに任せて先に行け事件】嫌いだなと思った先輩女性社員の話
会社で相性の悪い50代の先輩女性社員の話をさせてほしい。
直接今回の話と関係はないが、ちょっとだけ先輩と自分の関係性を説明すると、自分の入社時は他の人に比べてミスも多くて、3年目でやっと仕事になれたところだけど、現在でも自分に当たりが強く、話も噛み合わないことが多い、という関係性になっている。
最近だととある処理をしたくて自分が間違って同じアプリを2つ起動していたときに、
先輩女性社員「なんで同じ画面が2つあるの!???」
自分「すいません、間違えて起動させてしまいました(閉じればいいじゃん)」
と声を荒らげながら注意されるとか、細かい話でも毎回わだかまりが起こる感じ。
関係性はそこそこにして、本題に移る。
近々、会社で身内だけで創立記念の式典をすることになったことが発端になっている。その式典のプログラムのひとつで、支店ごとに紹介動画を作って前支店分をまとめて映像を流すことになった。例外なくウチの支社でも映像担当者が決められて映像の制作作業が進んでいた。
そんな折、ビデオカメラを持った担当者が自分の部署にも来て撮影にきた。
「~とこんな流れで内容を考えていて、こんな感じでポーズと声を出してもらえませんでしょうか?」と指示をしてもらい、その通りに何度か練習をした。社内向けの動画のだったこともあって、演出には若干おもしろ要素があって、一言でいうと大学生ノリのような内容で、おじさん・おばさん従業員がやるには恥ずかしい内容だった。
号令者「ファイトー!」→ガッツポーズ、
続けて他の人も「ファイト~!」→ガッツポーズ
とこんな感じ。
皆30~50代がほとんどなので、皆の共通認識として好き好んでやりたい内容ではなかったと思っている。何回か練習をして、最後に本番を撮影しようとなったタイミングで、担当者が本番はマスクを外して、撮影をしたいという話になった。
ここでタイトルに事件に戻るのだが、他の社員・アルバイトの全員がしぶしぶマスクを外したにも関わらず、一人だけマスクを外さない勤続20年超えの先輩女性社員がいた。撮影担当者が「〇〇さん!マスク外しましょう!」と言って何度か押し問答をしたものの「私はいいです」「いえ大丈夫です」「このままでやります」と言いだした。担当者側としては、特に会社の社内向けイベントでの撮影でそこまで強制して撮影するものではないので、とくに事を荒立てることなく、撮影者担当者が「あ....はい」と折れて一人だけマスクをしたまま撮影を進める感じになった。
そしてもうひとつ、この時の演出でもう一つあったのが縦に並んで撮影するというものだった。マスクはずさない問答をしたタイミングで後ろを振り返ってみて気づいたが、その女性社員が一番最後列に陣取っていた事に気づいた。その時に「(え...マスク外さないし、一番後ろかよ...)」と心の中で思ってしまった。
この映像の用途は社内向けのイベントのもので、売上に関係するものでは決してなく、映像に残るということを会社が強制する権利もないし、従業員は選択できる権利はあっていいと思う。カメラがかなりの嫌悪感を覚える人が存在自体も知っている。その上で声にはできないけどせめてここで先輩女性社員に対して考えていることを成仏したい。
- 他の人も全員嫌だと思ってるのに、なぜ士気を乱すようなことをするのか
- 社員のくせに矢面に立たないのか。先陣きって一番目立たない場所を陣取るのか
- アルバイトより給料もらっているんだから、せめて最前線に来て守れ
自分が一番嫌だと思ったのは、他全員を人質にして、自分だけが助かろうとしているその魂胆が不快すぎた。皆が嫌だと思っている汚れ役を、率先して一番安全な場所で自分だけ回避している状態がダサいとおもった。と同時に仕事でもなんでもないし、こんな小さいことにいちいち気にすること自体が嫌悪感ではあるが、行動が腑に落ちなくってどうしても言葉にしたくなった。
これは同調圧力なんだろうか。乾杯マナーのビールと同じで、体質的に受けつけないのにビールを強制することは健全ではないと思う。今回の場合も状況は似てはいると思う。似てはいるが決定的に違うところもあると思っている。
違うのは、この女性社員が「自分だけ」が助かろうとした構図になっていること。この構図を理解した上でマスク外さない、最後列にいるのであれば、尊重して許せるが、普段の行動を見るに到底考えられない。この先輩にそんな思慮深さはないと思う。先に言ったが、規模が小さいどうでもいい話なのでこれを気にする自分の器の小ささに嫌悪感を感じる。気にした自分が負け。今日も嫌な日になった。
女子中学生「人を測るには学歴が一番」との意見に賛同してしまった
「人を測る定義として学歴が一番わかりやすい。だから学歴社会は別に悪くない」
最初に言いますが、女子中学生に全面的に賛成の立場です。
この発言にtwitter上で賛成派よりも否定的なコメントが比較的多く寄せられていました。整理整頓も兼ねて勝手に考えを書き連ねていきます。
女子中学生の意見に対して
「社会に出ればその答えがわかる」
「前提は間違っていない。だが結論が間違い。」
「悲しい一言ですね」
「間違ってはいないんだが、高学歴だからといって仕事ができるとは限らない。」
「sinθcosθtanθだとか社会出てから使わないよ?」
「お勉強は出来るけど、仕事の出来ないやついっぱいいるぞ。」
「片側からしか物事が見れない」
こんな感じのコメントが寄せられていました。そもそも多くの人の立場が異なっていて、学歴社会との比較対象にバラつきがあると思ったので大まかに分類します。
- パターン①:人格・人間性=学歴
- パターン②:稼ぐ力・仕事力=学歴
- パターン③:就職=学歴
最初に引用した否定的なコメントの多くは中学生の考えに対して、パターン①とパターン②の立場から発言したものである、もしくは女子中学生が考えが及んでいないと指摘しているのではないかと想像します。
まずはパターン①「人格=学歴」について考えます。
パターン①「人格=学歴」は普通に道徳の授業を受けた人間であれば、「人格者は勉強ができる」という考えは暴論すぎるので、成り立たないと思うのが普通だと思ってしまいました。この女子中学生がパターン①「人格=学歴」の立場から発言している可能性は相当に低い気はしています。また主観ですが、映像を見るに言葉選び、発言の雰囲気から、この女子中学生が冷徹な考えをしているようには私には思えませんでした。このパターン①「人格=学歴」についてはそもそも考えなくていいと思います。
次にパターン②「仕事力=学歴」について考えます。
これが否定的なコメントでよく見ましたが、もちろんこの学歴があるからと言って、仕事ができるとは限らないのは理解ができます。ですが、そもそもの女子中学生の発言の根底にはパターン②とは違う前提あったのではないかというのが、私の考えです。この女子中学生の発言は2点ありました。
- A「学歴は定義として一番わかりやすい」
- B「学歴社会は悪くはない」
まずはA「学歴は定義として一番わかりやすい」の発言ですが、仕事力にも色々あると思います。例えばパッと思いつくのは素直さ、コミュニケーション力、協調性、状況判断力、社内政治力、行動力、体力、専門知識、経験などでしょうか。他にもあるかもしれませんが、いくつかある指標のうち、学歴は学生が唯一、数字にできる項目です。女子中学生が言っているのは「一番わかりやすい」つまり「定量的である」ということです。完全な指標ではないことを意味に含んでいて、そのことを自身でも自覚しているがために「わかりやすい」と表現したのではないかと思います。
もちろん家庭環境や貧富の差で生まれる不平等もあると思いますが、基本的には皆の平等に義務教育を受けているはず、現状の世間的には大学まで行く選択肢は標準的であるという前提があるので、前提を外れるようなイレギュラーな話は個別に考えるべきだと思います。今回のような社会的な議題、大きな規模の議題の場合は、やむを得ない事情がある人について補足程度に考えるのは良しとしても、根幹的に考えるのは問題を複雑化してしまうので避けたほうが賢明だと思います。マクロで考えるという表現でもいいでしょうか。
そしてB「学歴社会は悪くはない」の発言ですが、学歴社会が悪いとも正しいとも断定して言っていないことが重要です。「絶対的に良い」でもなく、「絶対的に悪い」でもなく、「悪くはない」です。つまり「成果としては一定の効果が得られる」といった意味合いで使用されていると思います。女子中学生自身は、仕事力と学歴は断定こそできないものの、例えば学歴は収入に影響しているという話はよく聞くと思いますし、学歴に相関した一定の効果は現実として否定できないことを、確かなデータでは理解していなくとも、感覚的に理解していることに由来した表現だと推測します。
女子中学生の上記の2つの発言を踏まえて、パターン②「仕事力=学歴」に立ち返ると、一切その意図はなく、上手に回避しているように思えますし、一致しているとは言っていないことが伺えます。
最後にパターン③「就職=学歴」について考えます
このパターンが私の立場になります。画像を見て否定的なコメントが多かったので確認のため、番組の映像を見てみました。そこでは前後の他の人のインタビューで学歴社会と就職に関して発言している内容があり、そもそものインタビューの質問内容が「就職に学歴は必要な社会の現状をどう思うか?」だったのではないかと考えます。
そう考えると女子中学生の発言はかなり現実的な回答だと思います。就職は当たり前ですが選抜試験になっています。何があるかわからない世の中にはなっていますが人気企業は人気な現状も残っていると思います。その人気企業で面接官が書類選考を実施しますが、その面接官たちの達成目標は可能な限り優秀な人間を選抜することです。先程も挙げたように学歴は容易に数値化にできる項目です。基本的に誰でも平等に大学試験は受けることができるので、長期的な努力や能力を測るのに便利な指標であるのは間違いありません。選考過程にも人件費がかかるので、ビジネスの観点で考えたときに人事が書類選考でフィルターをかけて、効率よく選抜する考えになるのは当然の流れです。
もちろん世間の皆さんが嫌いな「お勉強はできるけど仕事はできない新人くん」もいると思いますが、そのために面接という選考過程が存在しています。学歴だけでは測れない項目を、より精査するための段階として設けられているので、何も企業が学歴だけで判断しているわけではないことが事実として存在しています。そんなことはわかりきっていて、その上で「学歴は採用項目として重要な指標の一つ」と言い換えてもいいと思いますが、女子中学生も同じような感覚で「測る定義として一番わかりやすい」「悪くはない」と発言をしているように感じました。
そもそも学歴という言葉に敵意を持ち過ぎです。
学歴の分解して考えると、
- 決められた期間内に
- 平等に与えられた問題に対して
- 一定以上の成果を残すための努力したか
- もしくは達成することのできるスペックを保有していたか
の以上を第三者的に認めた事実にだけ目を向けるべきです。
そのため一旦、学歴でマウントするような人は無視しないと今回の話は当然こじれます。
わかりやすく言うなら、
全く同じような能力、雰囲気の人間が2人いたとして、努力をした人と、しなかった人を比較すると、面接官は確実に努力をした人間を採用する方が普通の感覚だと思います。
・高校1年のときに偏差値50、高校3年生のときに偏差値50、高卒
・高校1年のときに偏差値50、高校3年生のときに偏差値60、MARCH卒業
当然、後者を選んだほうが当たりの確率は上がるはずです。仮に高卒の人材を選んだとして、秀でた部分がない見られない場合は、仮に上手くいったとしてギャンブルにしかならないです。高卒の人材を選ぶならそれなりの理由がなければ人事部長を説得して採用を通すことはできません。一時は良いかもしれませんが、これは再現性の問題になってきます。
最後に、それぞれ回答するなら...
「社会に出ればその答えがわかる」
→書類選考時点の話をしているので、発言として間違っていない。素人に向けて到達者のありがたい話みたいな含んだ感じにしているけど、そもそもそんな話をしていない。
「前提は間違っていない。だが結論が間違い。」
→より良い就職のためには、ある程度の学歴が必要な社会構造になっていて、選考過程の指標としてわかりやすいと言っているだけ。それ以上のことは言っていない。
「悲しい一言ですね」
→そもそも前提が違う。理想論があるのは結構だが、書類選考時点の話として現実としっかり向き合っているのは女子中学生の方なので、現実逃避をしないでむしろ立派。
「間違ってはいないんだが、高学歴だからといって仕事ができるとは限らない。」
→女子中学生の意図とは異なっていて、あえて断定していない言葉選びをしている。
「sinθcosθtanθだとか社会出てから使わないよ?」
→視点が小さすぎるので、適切に議題に焦点を当ててしてほしい。個別の問題内容ではなく、問題に対する処理能力が要求されているので、細かい内容を考えるべきではない。
「お勉強は出来るけど、仕事の出来ないやついっぱいいるぞ。」
→書類選考過程の話で質問の前提が異なるので、指摘箇所が違う。東京旅行することが確定しているのに、大阪旅行のほうが楽しいから大阪のことも考えるべきとか言い出すような状況。
「片側からしか物事が見れない」
→質問に対する回答としてこの場面ではむしろ適切。片側から物事が見れていないと思い込んでしまった事自体が、片側からしか物事が見えていない状態になっている。
バカな新人に困っている
という先輩方がいるし、周りの知り合いからも同じような話をよく聞く。
個人的に思うのが仮に、過去に即戦力になれるような新人がいた経験があったとしても、仕事のできないバカな新人と呼んでしまうような人を2人以上見かけてしまった場合は「単発的な問題ではないかもしれない」とその人種に合わせる技術を考えればいいのだが、思考停止してしまうのなんでなんでしょう。もちろん学校ではないので「手取り足取りとそこまでする義理はない」という考え方もあっていいんだが、毎日同じことを繰り返しで、同じ内容で、同じ熱量で怒れるのがすごいなと感心する。お手上げなら放っておけばいいのではないか?と思うし、手を出すなら対策すればいいだけで、自分がバカではないなら学んだらどうなんだろうと不思議に思う。最低限を仕事をさせるとか、部署異動させるとかなんでもあるでしょう。バカとそれ以上何も進まない言葉で片付けている人がよっぽどバカに見えるんだが。別回答だと、今後はそういう低スペックの新人を採用しないように、バカな人種のレベルを超えた、もっと学歴と職歴のスペックの高い人間を採用すればいいだけで、確率的には問題の再発は防げるから、問題解決の難易度的には大したことないはずなんだけど、一体何を困っているのだろう。起きた問題をただ対策していけばいいだけ。これを踏まえると自分から見たときに、先輩方のやりたいことは仕事の流儀の話ではなく、表面上は立派なことを言ってるだけの、実質的にはうまく行かないことのストレス発散をしているだけ状況に成り下がっていることに気づいた方がではないか?と思っているのだが、そんなことを先輩方に言っても、得がないのでただ心の中に思って見下しているだけになっている。
声優が表に出てくるのが気持ち悪いという偏見をもっている
誰にも言えない、主観で気持ちの悪い自分の偏見です。競争を勝ち抜いた人たちだし、芸達者だとも思うし、仕事としての意義あるし、事実として需要がある。それを踏まえた上で、ものすごく心の狭い個人的な意見です。ごめんなさい。
例えば一番嫌なのがテレビとかで、
MC「〇〇さん、あのキャラでお願いします!!」
声優「(決め台詞を言う)~~だぜ!!」
出演者「おお~!さすが!まってました~!」
声優「へへっ、まあね!」
みたいな場面がよくあると思うけど、
やらされてる感出してくれればいいんだが、
なんで清々しい顔、ドヤ顔をしているのかが理解できないです。
1. 漫画が好き
2. アニメ化決定
3. 声優がつく
4. 静止画だったキャラが動画になって嬉しい
上の流れであくまでも好きな感情は漫画とキャラクターにあるのであって、声優おじさんが好きなわけではないという理屈なのですが、このキャラの声ってこの変なテンションで変な衣装のおじさんだったんだって変なイメージがついて純粋にアニメが楽しめないです。表に出てきてもいいのですが、せめて「キャラクターの看板を利用させてもらっているだけなのに、こんなテレビにも出してもらって立ててもらって申し訳ありません!役不足かもしれませんが、一生懸命演じさせていただきます!」ぐらいの申し訳なさがほしいです。
でもそんな没個性な声優だと選ばれる声優にはならないんでしょうね。
悪人は悪人らしく、悪い人間で居続ける責任がある
最近、定年したおじさんが転職でうちの会社に来た。自分も転職組で、今の会社で新人として仕事を学んでいる期間は苦しくて辛くて耐え難いものだった。前任者と上司からの指示や指摘はよく意図の分からないものだったりで、今でこそ仕事に慣れて振り返ってみると「なんであんなに教え方が下手だったのか?」と疑問に思うほどマイルールのこだわりが横行していた。前任者から仕事を引き継いでから、携わっている色んな人の動向と仕事の流れと成果物に対する必要要件を確認して、体系化していくと結果的に教わったことを全くやらなくなった。それほどに意味のない仕事が多かったということだと思う。もしかしたら前ルールであれば、自分が知らない問題点へのフォローがされていたかもしれないがその意図を一切聞くことができなかったので、どうしようもない。もちろん現時点の成果が正解であるとは思っていなくてまだまだ改善していきたいと思っている。話ができるのであれば、という前提だがそんな夢みたいな話し合いができるような部署ではない。そんな苦い経験もあって、できれば自分の後から入社する人にはそんな不要な労力とネガティブな感情を持ってもらいたくなくて省力化&体系化した仕事のアドバイスをするようにしている。ただ自分も同じく入社直後に躓いたこともあって周囲に対して信頼されていないし、教えられる範囲も限られている。ゆくゆくは同じ業務範囲を担当するはずなのに教育担当すらになっていない。それだけ自分が上司先輩に信用されていない。不甲斐ない話で自分の実力が至らずなことは理解しているが、一旦棚に上げて物言いを続けるとする。それでも過去の自分と同じ道を辿らないようにおじさん新人が楽になるような情報を隙あらば伝えるようにしていた。加えて周りが注意するなら自分は引くし、おそらく説明が足りてないであろう知識がありそうなら補足する、間違いやすい箇所は先に解説するなど。ただ自分が伝えるときは淡々と伝えるだけなのでどうしても怒っているように聞こえるかもしれないというのが気にかけているものの、今の会社の環境だと、どうしてもフレンドリーな自分を見せたくない意地もある。そうなると、おじさん新人にとってはきつい物言いに聞こえるかもしれないし、細かすぎる指摘に聞こえるかもしれない。結果、今まで自分が受けてきた仕打ちと何らかわりがないのではないかとも思ってしまう。そんな直近の状況で思うことはおじさん新人にとって周囲は敵だし、自分も同じように今でも心を許していない先輩たちで、敵の敵は味方出会ってもおかしくないような状況だけど、実際おじさん新人にしてあげられることは少なく、なんかきつい物言いで仕事の指摘をしてくる私は悪人だと思い込まないといけない気がしている。実際は「あなたのために」と思っているけども、新人にとっては周囲と同じように意味の分からないことを言っているし、現在進行系で意味の分からない職場環境であることに目をつぶって、上司・先輩たちと同じく現状を許しているという点で同罪には違いない。かと言って「こんな職場ですいません、何もできなくて」と「自分は偏屈な他の人とは違いますよ」と、たとえ本心はそうだとしても許しを請う振る舞いも絶対に行ってはならない気がしている。おじさん新人にとってはこの今の環境は、この現状を許している先人は皆同じく同罪であることに変わりがないはず。だからこそ自分は、自分の悪行に目を瞑らずに、自分ができることを粛々と進めていくだけしかないのだと思った。
本を読んでも、映画を見ても面白くない、どう楽しんだら良い?
一番記憶に古い娯楽はゲームだった。小学生から高校生ぐらいまではゲームが好きでお小遣いを貯めては年1本の頻度でゲームを買っていた。当時はスマホもなく、娯楽といえば任天堂のゲームだけだった。ただあまりにも次々にやりたいゲームがし発売されてやりたくてたまらなかったけど買えるわけでもなく、常に我慢するしかなくてただひたすら耐えるだけの日々だった。そんなとき解決したのが、なにかの2chのまとめだったかで見た「ゲームはただ電子データを書き換えているだけの作業」というコメントだった。なんとなくその言葉が自分の琴線に触れてしっくりきてから割りと我慢が苦痛にならなくなった。大学生になってバイトを初めてある程度、自由にお金を使えるようになってからもゲームは買うことはほとんどしなかった。なにか趣味を見つけようと思って本も映画を見はじめたりしてみたものの、1日経ったらどんな内容か忘れてしまう忘れっぽさが原因で以降は、本を読む気になることがなかった。ときどきテレビでスポットライトがあたる新作の本を見て面白そうだなと気になっても思ってもどうせ忘れるし、で一切本の世界に踏み込むことができなくなってしまった。それからはyoutube、現在はtiktokと気になったものを数十分で簡単に消費できるメディアが登場してきたこともありそれなりに暇することはなくなった。ただ、どうしても「なんか見たことある」「良くは覚えていないけど知ってる」ような内容が増えていき、かと言って難解な分野や興味のない分野に足を踏み入れるほどの忍耐力と好奇心もなく、日々が流れていくだけの状態になっている。忘れやすいがゆえにストックしていきたい、損をしたくない気持ちが働いてしまって新しいことに挑戦できなくなってしまっている。どんなコンテンツも自分には積み重なっていかないから面白くない。でも見知ったようなコンテンツが増えてきたので思考を自由に遊びたいのに深く考えられないから嫌になる。見知らぬ誰かの思考を知りたい。自分にとっての新発見がしたい。でもどうせ忘れてしまう。そんな損得勘定が働く...いや単なる怠惰なだけだろ。