悪人は悪人らしく、悪い人間で居続ける責任がある

最近、定年したおじさんが転職でうちの会社に来た。自分も転職組で、今の会社で新人として仕事を学んでいる期間は苦しくて辛くて耐え難いものだった。前任者と上司からの指示や指摘はよく意図の分からないものだったりで、今でこそ仕事に慣れて振り返ってみると「なんであんなに教え方が下手だったのか?」と疑問に思うほどマイルールのこだわりが横行していた。前任者から仕事を引き継いでから、携わっている色んな人の動向と仕事の流れと成果物に対する必要要件を確認して、体系化していくと結果的に教わったことを全くやらなくなった。それほどに意味のない仕事が多かったということだと思う。もしかしたら前ルールであれば、自分が知らない問題点へのフォローがされていたかもしれないがその意図を一切聞くことができなかったので、どうしようもない。もちろん現時点の成果が正解であるとは思っていなくてまだまだ改善していきたいと思っている。話ができるのであれば、という前提だがそんな夢みたいな話し合いができるような部署ではない。そんな苦い経験もあって、できれば自分の後から入社する人にはそんな不要な労力とネガティブな感情を持ってもらいたくなくて省力化&体系化した仕事のアドバイスをするようにしている。ただ自分も同じく入社直後に躓いたこともあって周囲に対して信頼されていないし、教えられる範囲も限られている。ゆくゆくは同じ業務範囲を担当するはずなのに教育担当すらになっていない。それだけ自分が上司先輩に信用されていない。不甲斐ない話で自分の実力が至らずなことは理解しているが、一旦棚に上げて物言いを続けるとする。それでも過去の自分と同じ道を辿らないようにおじさん新人が楽になるような情報を隙あらば伝えるようにしていた。加えて周りが注意するなら自分は引くし、おそらく説明が足りてないであろう知識がありそうなら補足する、間違いやすい箇所は先に解説するなど。ただ自分が伝えるときは淡々と伝えるだけなのでどうしても怒っているように聞こえるかもしれないというのが気にかけているものの、今の会社の環境だと、どうしてもフレンドリーな自分を見せたくない意地もある。そうなると、おじさん新人にとってはきつい物言いに聞こえるかもしれないし、細かすぎる指摘に聞こえるかもしれない。結果、今まで自分が受けてきた仕打ちと何らかわりがないのではないかとも思ってしまう。そんな直近の状況で思うことはおじさん新人にとって周囲は敵だし、自分も同じように今でも心を許していない先輩たちで、敵の敵は味方出会ってもおかしくないような状況だけど、実際おじさん新人にしてあげられることは少なく、なんかきつい物言いで仕事の指摘をしてくる私は悪人だと思い込まないといけない気がしている。実際は「あなたのために」と思っているけども、新人にとっては周囲と同じように意味の分からないことを言っているし、現在進行系で意味の分からない職場環境であることに目をつぶって、上司・先輩たちと同じく現状を許しているという点で同罪には違いない。かと言って「こんな職場ですいません、何もできなくて」と「自分は偏屈な他の人とは違いますよ」と、たとえ本心はそうだとしても許しを請う振る舞いも絶対に行ってはならない気がしている。おじさん新人にとってはこの今の環境は、この現状を許している先人は皆同じく同罪であることに変わりがないはず。だからこそ自分は、自分の悪行に目を瞑らずに、自分ができることを粛々と進めていくだけしかないのだと思った。